日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

村から村へ

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先ほど宮崎空港からソラシドエアで羽田空港に到着。今週は、「村」な一週間だった。

月曜日は、長野県朝日村に木工作家の谷口泉さん、山田義明さんを、ふくしまオーガニックコットンプロジェクトの皆さんと一緒に訪問。オーガニックコットンを手紡ぎする新しい道具を開発するための打合せ。見た目のかわいらしさと作業性をあわせもった逸品を作って頂けそうで楽しみ。

火曜日から水曜日にかけては、山梨県小菅村にて、多摩川の流域から源流へと大きな人の流れを生み出すための、いわゆるDMO組織の立上げに向けた会議を朝から晩まで。小菅村は今、住む家が足りないほど、移住者が増えてきているが、観光交流・移住の受入れから、移住後のサポートまでできる体制構築が喫緊の課題。

金曜日から土曜日にかけては、宮崎県椎葉村にて、焼畑継承・拡大に向けた研究会の運営と、世界農業遺産のシンポジウムへの参加。九州山地の奥山で縄文・弥生から細々と続けられてきた焼畑が、世界農業遺産認定の重要な要素の一つとなり、地域ぐるみで守っていこうという機運が盛り上がってきている。研究会でも、夜7時~9時という遅い時間帯に関わらず近隣集落のリーダー達、若手が沢山集まってくれ、老若男女関わらず、焼畑継承のために自分達が何ができるのか口々に語り合う姿には心から感動した。

山場の連続でしんどい一週間だったけど、社会に出て十数年かけて、ようやく自分がしたかった仕事が少しずつかたちにできてきたなぁとじんわり嬉しい気持ちでいっぱい。

「人の見のこしたものを見るようにせよ。その中にいつも大切なものがあるはずだ。あせることはない。自分のえらんだ道をしっかり歩いていくことだ。」

尊敬する民俗学者の宮本常一が、十五歳で故郷の周防大島を後にするとき、父に贈られたという言葉だ。自分に贈られたわけではないけど、この言葉を、勝手に自分の座右の銘にしている。

【ノート】父の教え
父の教え ~宮本常一が十五歳で故里を後にするとき、父に贈られたという言葉~
手紡ぎ、手仕事、源流、焼畑、アワやヒエといった雑穀、かてーり(椎葉の相互扶助の仕組み)など、都会で生きている人の視界に入ってこないものを大切にしていきたい。国という単位で見るとどれだけ重要かはわからないが、そこに住んでいる人、それを営んでいる人にとっては、何にも代えがたいわけで。それにいつかは、巡り巡って、国や世界にとっても、大切な財産になってくると思っている。
そんな「人の見のこしたもの」を追い求めていきたいという思いで、さとゆめという会社を作ってきたわけだけど、ほんとにそんな仕事を任せてくださるクライアント・パートナーに恵まれて、そんなことに共感してくれるメンバーが集ってくれてほんと有難いです。
帰りの飛行機の中で、「宮本常一が父から贈られた言葉」を久しぶりに読み返して、その思いを強くしている土曜の夜です。

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