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日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

対馬と宮本常一

長崎

先週、対馬に行ってきました。今年2回目の訪問でした。

仕事の合間にあちこち見て回ってきました。自然の素晴らしさ、そこかしこから漂う歴史の深さに、改めて圧倒されました。

今回寄ったのは、椎根という集落の石屋根倉庫と、対馬最南端の岬、豆酘崎(つつさき)です。

椎根の石屋根(対馬)・写真満載九州観光
豆酘(対馬)・写真満載九州観光

対馬と言えば、僕は民俗学者・宮本常一を想起します。彼は、生前5度ほど、この対馬の地に訪れ、村々の民具や集落構造、生業等に関して、膨大な聞き書きレポートを残しています。彼の離島研究の聖地とも言える場所でしょう。

その彼の対馬に関する記述の中でも、一番有名なのは、ヒット作「忘れられた日本人」に収録された梶田富五郎翁という対馬の漁師のライフヒストリーの聞き書きでしょう。

忘れられた日本人 (岩波文庫)

忘れられた日本人 (岩波文庫)

で、その梶田富五郎翁が住んでいたのが、今回訪問した豆酘崎の付け根にある集落、豆酘(つつ)の住民や移民が拓いた浅藻という集落。



ということで、今回は短い滞在ですが、この豆酘にも寄る事ができ、宮本常一の足跡を辿れたようで、うれしいものでした。でも、まあ、今年度もあと少なくとも5,6回は対馬に足を運び、色んな集落の人のお話を聞く事になると思うので、これからが本番、ですが。

さて、帰りの飛行機を待っている間、対馬やまねこ飛行場で、島の人が編集した宮本常一の回顧録のような冊子を買って読みました。

対州鉱山の公害問題に取り組んだり、離島振興法制定に向けてロビー活動をしたり、漁港の整備への補助を霞ヶ関に根回ししにいったり、懐古主義的なイメージのつきまとういわゆる民俗学者と全然違う宮本常一の姿が垣間見れて、興味深いものでした。彼が今生きていたら、○○コンサルタントとか、○○コーディネータという肩書きで呼ばれていたかもしれませんね。

例えば、対馬のとある集落の不合理な取り決めを批判する論文を学術雑誌に発表した仲間が、島民からなじられたときの宮本の言葉が記録されていました。

ここには本当のことが書いてあるんやろ。
本当のことが書いてあるといって文句をつけるとは何事か。
そんな文句をつけるよりもあなたたちの古い体質を改めてもっと近代的な港をつくり、近代的な漁業をやることがあなたたちが今後発展していくためにも大事じゃないか。
宮本はさらに言葉をついで、あなたたちにそういう気持ちがあるなら、われわれもぜひお手伝いしたいと思っているといった。

この一節を読んで、宮本常一の「変化」に対する姿勢に関して薄々感じていたことが、確信に変わりました。

彼は、古くて、誰も目に留めないようなもの、民具や生業や芸能、食、庶民のライフストーリー等をこと細かに記述し、後世に伝えることをライフワークとしましたが、全くと言っていいほど「変化」を否定していなかったということ。

むしろ、変化を積極的に受け入れていた。暮らしも産業も、昔からいつも常に変化してきていたことを、聞き書きの中から確信していたのでしょう。

だからこそ、これから正しい方向に変化するためにも、過去のことを知っておく、記録、記憶している必要がある、というスタンスだったのでしょう。

深く共感します。

宮本常一の足跡が残る、この対馬と関わりができたことをきっかけにして、少しでも、彼に近づけるよう、頑張りたいと思った次第です。

  • 椎根の石屋根倉庫





  • 豆酘崎