「里山資本主義」(藻谷浩介著)、そして高知出張。
間があいてしまいましたが、ブログ更新。先週は、まるまる1週間高知出張だった。
「准フォレスター育成研修」の四国ブロックの第二週目。(今年は、四国ブロックと中部ブロックを担当している。)
台風が近づいていたので、現地演習ができるかどうか心配していたが、幸運にも現地演習の日までは雲一つない快晴で、翌日から雨が降り始めた。現場の仕事は、晴れたら9割は成功したようなものなので、ほっとした。
さて、滞在していた4泊5日の最初の3夜は、受講生や講師仲間との飲み会を楽しんだが、4日目の夜は、(飲み疲れていたこともあり・・・)久々に本を読んだ。
遅ればせながらの、藻谷浩介氏の「里山資本主義」。50万部のヒット作「デフレの正体」に続く第二弾。
里山資本主義 日本経済は「安心の原理」で動く (角川oneテーマ21)
- 作者: 藻谷浩介,NHK広島取材班
- 出版社/メーカー: KADOKAWA / 角川書店
- 発売日: 2013/09/25
- メディア: Kindle版
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この本で紹介されている事例は、岡山県真庭の製材所・銘建工業のバイオマス発電だったり、オーストリアの地域熱供給やCLTの木造高層ビルだったりと、学生時代から森林・林業・バイオマスの分野にどっぷりはまっている自分には目新しいことはなかった。こんなの、僕らの分野の専門書や報告書でさんざん紹介されているだろ、とちょっと拍子抜けだった。
けど、やはり、問題設定(本のテーマ)の切り口、切れ味は、さすがだなあと、舌を巻くしかなかった。
あのとき(東日本大震災)一瞬だけ感じたはずの、生存を脅かされたことへの恐怖。貨幣経済が正常に機能することに頼りきっていた自分の、生き物としてのひ弱さの自覚。その思いを忘れないうちに、動かなくてはならない。お金という手段だけに頼るのではなく、少なくともバックアップ用として別の手段も確保しておくという方向に。そう難しい話ではない。
「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。
僕らが再生可能エネルギーだとか、バイオマスだとかを論じはじめると、どうしても、「都市・農山村交流」だとか、「農山村の活性化」だとか、「森林再生」だとか、そういう話になってしまう。狭いと言うか、甘いというか、プロダクトアウトというか。
そこにきて、この本では、再生可能エネルギーだとか、都市農山村交流だとかは、「(マネー資本主義に染まりすぎた)現代社会のバックアップシステム(orサブシステム)をつくる」ための手段だ、という問題設定をした。
う~ん、うまい!
「バックアップシステム」という言葉を使うことで、農だとか、林だとか、エネだとか、一般市民にとって身近に感じられないことを、(少なくとも、仕事でパソコンを使っている人にとっては)少しは身近に感じられるかもしれないね。
だって、バックアップがないシステムが危ういものだというのは、日々みんな痛いほど感じているからね。(何時間もかけて作った資料のデータが、パソコンが急にフリーズしてなくなってしまった、なんて経験みんな一度はしてるよね。)
で、健全な危機意識を持ち始める。ん??、今の化石燃料に頼り切っている日本の社会危ないかもしれないぞ、隣にだれが住んでいるのかも分からないようなマンションって、震災がきたらどうするの?、もし東京が放射能で汚染されたら、自分はどこに逃げるんだ。行先はあるのか?とか。
一方、環境活動家やその分野の専門家は、ついつい過激なこと(かつポジショントーク)を語ってしまう。「自然エネルギー100%も実現できる!」とか、「食料の完全自給を目指そう」とか。もちろん、そういうのを実現できたら素晴らしいけど、今、一般の市民に発信すべきメッセージかと言えば、適当ではないと思う。あまりにもハードルが高く思えて、「う~ん、無理!」と思ってしまうかもしれない。
そもそも、環境の分野でよく使われる、「オルタナティブ」という言葉は、 「二者択一」や「代替物」という意味合いで、現代社会を真向から否定してしまう。ちょっと過激すぎる。
だけど、「サブシステム」や「バックアップシステム」というのは、この「オルタナティブ」という言葉と違って、二者択一を人々に迫らない。中庸の考え方。バランスがいい。
たとえば、SEがこの本を読んで、現代社会の「バックアップシステム」という言葉を見たとする。そうすると、「これまでITの分野でシステムをつくってきたけど、もしかしたら、社会のバックアップシステム構築に自分の知見を活かせるんじゃないか?」とか思ったりするかもしれない。そんな感じで、こういう言葉が、このソーシャルイシューへの入り口、窓口を、すごく増やしてくれるような気がする。このソーシャルイシューにより多くの人材がコミットすること、より多くの知恵が流れ込むことを、後押ししてくれる本である気がする。
いやはや、色々と勉強になりました。
それはそうと、高知での1週間を思い出すと、こういう地方都市、農山村は、ほんとバックアップシステムがしっかりしているなあ、ひるがえって、自分が住んでいる東京は、ほんとバックアップシステムがぜい弱だなあと思った。
高知の四国森林管理局に勤める方からは、週末に川でアユをとったり、イカをバケツいっぱい釣った話などを沢山聞いた。
徳島県庁の方からは、実家が果樹農家で、いちごは食べ放題という話、旦那さんはスダチの山を持っているという話を聞いた。
山には、蜂蜜を採るための養蜂箱(対馬では、蜂洞と言うけど、こちらでは、蜜胴というらしい)が沢山置いてある。ハチミツさえ自前で作れる。
などなど。そういう話が沢山。
四国の人々、のんびりどっしりとしていて、落ち着いているようにみえるのは、こういうバックアップシステムが四国の地には今も在るからなのかもしれない。
繰り返すが、刹那的な行動は、われわれ日本人がマネー資本主義の先行きに対して根源的な不安を抱き、心の奥底で自暴自棄になってしまっているところから来ている。そしてその不安は、マネー資本主義自壊のリスクに対処できるバックアップシステムが存在しないところから来る。複雑化しきったマネー資本主義のシステムが機能停止した時に、どうしていいかわからないというところから不安は来ているのだ。
もう一つ思ったこと。
高知にも、大型製材工場が進出してきたり、バイオマス発電所が進出してくる予定があったり。木材の流れ方や流れの量が変わってきていて、一部では、再造林が放棄された裸地が増えてしまうんじゃないかという懸念もされている。
木材を沢山使えばいいという話でもない。再生可能エネルギーを沢山つくればいいという話でもない。「大きい=良い」「多い=良い」というベクトルだけでは解決できない複雑なシステムの上に、社会も、自然も成り立っている。
バランス感覚が必要な世界。まさに、そういった複雑なバックアップシステムを設計、運用できる“システムエンジニア”がますます必要となってくるだろう。
アーティストもシステムエンジニア、会社員もシステムエンジニア、官僚もシステムエンジニア、研究者もシステムエンジニア。現代社会のサブシステムをみんなでつくっていこう。
とりとめのない話になってしまったけど、以上、感想まで。