希望とアニマルスピリット
震災関連のニュースや被災した人、風評被害を受けた人の話を見聞きすると、心が痛むことばかりだ。原発の事態が悪化したり、今度は関東・東海を震源とする地震が起きたりすれば、自分の勤める会社だって吹き飛んでしまうかも分からないし、生活だって立ち行かなくなる可能性だってある。そんな不安定な世の中だ。
だけど、自分の心の中を覗いてみると、前向きな気持ちが増してきていることを実感している。
これは何なんだろうと、自分でも不思議に思っていた。
そんなときに、ふと思い出して、だいぶ前に切り抜いてスクラップしていた新聞記事を引っ張り出して読んでみて、合点がいった。
自分の中に、「アニマルスピリット」が生まれてきたのかもしれないな、と。
私が読んだのは、「希望学」の玄田先生が、2011年1月7日付の日経新聞の「経済教室」に寄せていた論文。ネット上にも転載されている(以下の通り)。
ケインズが『雇用、利子および貨幣の一般理論』で「不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動」(間宮陽介訳)と記したアニマルスピリット。それは、経済を動かす原動力だ。
日本から希望が失われたといわれて久しいが、同時にそれはアニマルスピリットの喪失を意味した。バブル経済崩壊後の散々な失敗や、中国・韓国などの台頭に委縮し、諦めムードが社会に蔓延している。かつてささやかれた「勝ち組・負け組」という言葉もすっかり聞かなくなった。満ちているのは「みんな負け組」という鬱々とした気分だ。
そんななか、自分から何かを衝動的にやるよりは、誰かがわかりやすい解決策を与えてくれるのを待つ依存的な状況も強まっている。今必要なのは、目先の計算だけにとらわれないアニマルスピリットの回復と、フリーランチ(ただ食い)をいまだに期待する依存体質からの脱却である。
「希望」という物語 自ら紡げ(玄田有史) | 仮想制度研究所 VCASI
この記事は、震災の2ヶ月以上前に書かれたものだけど、予言的とも言えるほどに今日の日本に示唆的なことが書かれている。
今回の震災で「誰かがわかりやすい解決策を与えてくれるのを待」っていては自分達がバカを見ることが白日にさらされた。
テレビ番組も政府会見も、学者先生の言っていることもどこかちぐはぐで、どこか上滑りで、何を信じていいのか分からない。自分で考えて、自分の責任で行動しなければ、損をするどころか、生死にまで関わるような世の中になりつつある。多くの人がそう考えるようになってきているような気がする。
さらには、「フリーランチ(ただ食い)」していたお偉いさん達が、連日テレビで叩かれているので、世の中全体から「フリーランチ(ただ食い)をいまだに期待する依存体質」が抜けてきつつあるような気もする。
そもそも希望とは何なのだろう。希望学では外国の研究者とも意見を交えながら、希望(Hope)を「A Wish for Something to Come True by Action」であると考えた。希望は「気持ち(wish)」「何か(something)」「実現(come true)」「行動(action)」という4本の柱から成り立つ。希望が持てない状況では、4本柱のいずれかが見失われている。そして個人の希望に「お互いに(each other)」といえる他者とのかかわりが加わるとき、社会に共有された希望へとつながっていく。
「希望」という物語 自ら紡げ(玄田有史) | 仮想制度研究所 VCASI
「気持ち(wish)」、
「何か(something)」、
「実現(come true)」、
「行動(action)」、
そして、「お互いに(each other)」。
改めて、この玄田先生が定義した「希望」という言葉は、良い言葉だなあ、今の日本に必要とされている言葉だなあ、と強く思った。
今、まさに何千何万という人が、震災に遭った生活を立て直すために、生活を立て直す手助けをするために、そして、被災地以外でも、日々の仕事を前向きにやり遂げるために、「希望 = A Wish( for Something to Come True by Action)」を胸に、「お互いに(each other)」頑張っている。
一人一人が、この胸の中に灯された「希望」という火をこれからも何年も何十年も絶やさないこと、そしてその火を集めて大きな炎にすることが、日本というこの美しい国を、前よりもっと美しい国に蘇らせるために必要なことだろう。
きっとできる。自分もその大きな炎の小さな種火の一つになりたい。
そんなことを徒然と思った春の夜。
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ちなみに、玄田先生には、以前国立環境研究所の仕事で講演をして頂いたことがあります。以下のエントリーもご参照ください。
「希望」とは - 日本再発見ノート Rediscover Japan.