「コミュニティを問いなおす〜つながり・都市・日本社会の未来〜」(広井良典著)
今日は、久々の高松出張。クライアントである四国経産局さんへの成果物の納品とご挨拶。
天気はあいにくの曇りだったが、心は晴れやか。今回のクライアントには全面的に信頼して仕事を進めさせてくださったことに感謝。
森林・林業の価値をどう高めて、地域に利益を還元するのかという最近の自分の興味分野と業務のテーマが完全に一致していたので、とても楽しい仕事だった。自分の今後のビジネスのあり方についても、手応えを感じることができた。(調査成果は一般にも公開されると思いますので、ご関心の有る方はお待ちください。)
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さて、今日の道中、飛行機の中で読んだ本は、広井良典著「コミュニティを問いなおす〜つながり・都市・日本社会の未来〜」(ちくま新書)。
コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来 (ちくま新書)
- 作者: 広井良典
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/08/08
- メディア: 新書
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広井先生には、三年前くらいに、国立環境研究所の仕事で講演をお願いしたことがあって、とても感銘を受けて以来、著作をフォローしているのだ。
普通こういう新書って、さらっと読めてしまうもので、なるほどと思う要素が一つや二つ入っていれば良いくらいのものなのだけど、この本は、ほんと濃い!!読むのにかなり時間がかかったし、正直、まだ内容を消化しきれていない。
著者が本書の冒頭で、「コミュニティというテーマを、都市、空間、グローバリゼーション、福祉ないし社会保障、土地、環境、科学、ケア、価値原理、公共政策等々といった多様な観点や領域から掘り下げていきたい」と述べているように、かなり幅広い観点からコミュニティを論じている。
さらに言えば、社会「全体」の中からコミュニティという「一部」を抜き出して論じたものではなく、コミュニティというものから社会「全体」を論じている、と言っても良いだろう。
だから、そこに描かれているエッセンスは、まさに現代の日本の社会の根元的な課題に関するものである。
なるほど〜と膝を打った箇所が数十はあったわけだけど、その中でも特に私の心に残った箇所のみをメモしておきたい。
-労働生産性から資源生産性へ
定常型社会という社会のありようは、「労働生産性から環境効率性(ないし資源生産性)へ」のシフトということに関連している。
(中略by嶋田)
すなわち、以前は「人が足りず、資源が余っている」という状況だった。こうした時代には、資源はどんどん使ってよいから、できるだけ少ない労働力で多くの生産を上げること、つまり「労働生産性」が重要だった。ところが時代は大きく変わり、今では逆に「人は余り(=慢性的な失業)、むしろ自然資源が足りない」という状況になってきている。このような時代には、「人」はどんどん積極的に使い、資源消費を節約するという経済パターンが重要になる。
(中略by嶋田)
このような視点に立つと、介護・福祉や教育といった、「人」がキーポイントになる領域−「ケア」に関わる領域とも呼びうる−に積極的な投資を行うことこそが、経済の観点から見ても効果的ということになる。介護などの分野は“生産性が低い”ことの代表のようにいわれてきたが、それは従来のモノサシから見ているからであって、環境効率性ないし資源生産性の観点からは“優等生”なのである。教育や福祉に力を入れているフィンランドなど北欧諸国の「国際競争力」が高いことの背景にはこうしたことも関与していると思われる。
(中略by嶋田)
定常化の時代においては「人」が主体である労働集約型の経済が再評価されていくことになるだろう。労働集約型ということは実は“雇用創出効果”が大きいということでもあり、興味深いことに、産業別の雇用誘発効果を比較すると介護・福祉分野は際立って、高いものとなっている。
生産性を高めていくことが無条件で良いことと考えられる風潮があるが、生産性を限りなく高めていった先に何があるのかということに対して、社会は明確な答えを持っていないように感じる。
事業として、企業としては生産性を高めていくことは「善」だと思うが、社会としては必ずしもそうではないだろう。そこに、「政治」の役割があるのではないか。
製造業など労働生産性が高い分野は民間の自助努力で進めてもらって、労働集約型かつ資源生産性の高い分野にこそ、政治的なバックアップで雇用を誘導・創出していくべきなのだろうけど、どうもニュースとか見ているとまだまだ弱いように思える。
森林・林業・山村は、まさに労働集約型かつ資源生産性の高い分野である。労働生産性と資源生産性をどうバランスをとるのか。
これについては、自分もじっくりと考えていきたいと思う。
-フローからストックへ
一八世紀以来の市場経済の大幅な発展の時期とは、すなわち「フロー」が拡大を続ける時代ということでもあった。この場合、富の源泉は何よりも人々の「労働」という経済活動にあった。大量の資源を消費しつつ、そこでの「労働生産性」を上げることが経済の拡大につながったのである。
(中略by嶋田)
ところが今迎えつつある、先ほど述べた成熟化ないし「定常化」の時代は、人々の需要が飽和し、フローが拡大し続けるという状況がなくなる時代であるから、自ずと土地などの自然資源や資産などのストックが相対的に比重を増していくことになる。こうして、「ストックの分配」というテーマが構造的に重要さを増していくと同時に、地球環境問題を含めた資源・環境制約の顕在化という状況がストックの重要性という認識を強化する。
これらと並行して生じるのが「課税対象」ないし税体系の変化ということである。考えてみれば、およそ税というものは(それが「富の再分配」の主要な装置であることから)その時代において重要な“富の源泉”にかけられるものである。すなわち、産業化が本格化する以前の社会では、土地など(のストック)が主要な課税対象であったが、市場化・産業化の時代以降、その中心な「労働(とその結果としての所得)」に移り、消費社会に至ると徐々に消費税という形が広がった。
もう完全に「人々の需要が飽和し、フローが拡大し続けるという状況がなくなる時代」なのだから、今頃「GDP世界二位の座を中国に奪われた」云々言ってても、しょうがないよね。
あと、これまで「税」についてはあんまり考えたことが無かったけど、「およそ税というものは(それが「富の再分配」の主要な装置であることから)その時代において重要な“富の源泉”にかけられるものである」というのは、目から鱗だった。
それにしても、最近の税の話題は、もっぱら消費税(フローに対する税)の話題ばかりで、環境税(ストックに対する税)の話はとんと聞かなくなってしまったなあ。
今の社会を、「定常化社会」=「人々の需要が飽和し、フローが拡大し続けるという状況がなくなる時代」と位置づけて、フローの社会に出来上がってしまった社会の仕組みをどうストックの社会に合わせて作り替えていくのかという、広井先生の問題提起はとても意義があると思う。
自分は、森林・林業・山村という専門分野、フィールドで、広井先生の問いへの答えを探していきたいと思った。
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あともう一つ、とても心に残ったフレーズが「あとがき」にあった。
結局自分がやっていることは「人間についての探求」と「社会に関する構想」という二つに集約されると感じているが、コミュニティというテーマは、ある意味で他ならずこの両者を架橋する、結節点のような主題のひとつであると思われる。
「人間についての探求」と「社会に関する構想」。ああ、まだ広井先生の足下にも及ばないが、自分が一生を掛けてやっていきたいのは、まさにこれである。
この本を通して、図らずも、自分が「コミュニティ」というテーマに惹かれる理由の核心に触れることができた。それだけでも読んで良かった。
とにかく、この本は“濃い”です。皆さんにとっても、何かしらの“発見”があるはずです。
ぜひご一読を。