日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

靖国神社

今日、妻と二人で靖国神社に参ってきた。

その二週間程前のある日、妻に「靖国神社にお参りしたいんやけど・・・」と突然言われたときは、返す言葉に窮した。

靖国神社」という言葉は、テレビや新聞で首相が参る参らないの報道がされたり、それに対して中国や韓国の首脳から遺憾の意が表明されたり、といったときに耳にするくらいで(しかも、うんざりした気分で耳にしていた)、その言葉が家族の口から出たことに正直驚いてしまったのだ。

話を聞くと、妻の祖父の弟が第二次世界大戦時に南洋の島で戦死し、靖国神社に奉られているので、結婚のことや、千葉に引っ越してきたことを報告に行きたいのだという。

「靖国」=「政治の舞台」というイメージが如何に薄っぺらいものだったか思い知った。

第二次世界大戦で2,133,915人(靖国神社HP参照)の命が失われたこと、そして、その遺族が今も悲しみを持ち続けていること。遺骨さえ取り戻すことさえ出来なかった遺族にとって、靖国神社は戦死した親や兄弟が宿る「拠りどころ」になっていること。

こういった現実に対して全く実感を持てていなかったことに恥ずかしさを感じた。

そして、この現実が、「政治的に利用」されていることに、腹立たしさを感じた。

A級戦犯分祀など議論はあるだろうが、純粋に死者への弔いの気持ちだけを持って参ることの出来る神社になって欲しいと思う。