日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

三連休

三連休は、98歳になる祖父と89歳の祖母が住む鳥取へ帰省してきた。
正月以来帰っていなかったし、祖父が歳も歳なので何も不思議ではないのだけど、身体の自由がきかなくなってしまったというので、お見舞いもかねて。

祖父は、一日中ベッドに横たわってはいたけど、食事の時は車いすで食卓について結構むしゃむしゃ食べてくれていたし、座って一緒にお茶を飲んでくれたし、少し安心した。良かった。

頭はとてもしっかりしておられるが、目がよく見えなくなってしまったようで、手伝いに来ていた母(祖父の娘)が、「しゅんぺいだで、しゅんぺいが帰ってきただで。おとうちゃんの跡取りが来とるだで。」と耳元で話しかけると、嬉しそうな表情をしていたのが印象的だった。

と同時に、いまさらながら、「そうか、オレが跡取りなのか・・・」とハッとしたりした。(なんとも頼りない跡取りで、申し訳ないっす。)

で、昔(といっても十数年前)をふと思い返したりした。

僕は4人兄弟の次男で、姓も中島だったのだけど、一浪して京都の大学に入った19歳の4月に、母方の祖父母のところに養子入りして、嶋田になったのだ。嶋田家は娘(僕の母や叔母)がみんな嫁に行ってしまって、男児がいなかったから、僕が戸籍上は長男になったというわけだ。

今思い出すと、高校の頃から、ちらほら養子入りの話はあったのだけど、姓を変えることで、自分がまがりなりにも18年ほど生きてきた「歴史」や「人間関係」を捨てることになるような気がして嫌悪感を感じていたし、そもそも「家を継ぐ」という伝統的な家制度に反抗的な気持ちすら持っていた。「自分が何で養子に行きたくないか」と言った理由を原稿用紙4枚くらいにまとめて机の引き出しに入れていて、いつでも親に突きつけれるように準備していたほどだ。

が、京都の大学に受かり、一人で下宿探しをしたり、バイトを始めたり、大学の授業が始まったりと、新しい土地での新しい生活が始まったら、いつのまにやら、そんなこだわりはどこかに消えてしまっていた。

ここ京都でこれから出会う人は、自分が中島だろうが、嶋田だろうが、どちらでもいいのだと。はたまた、山田さんでもいいくらいだ。僕は、今から全く新しい人生を歩み始めるんだと。

で、彼(僕)は思った。「なら、名前変えてみようかな。過去はどこかに置いといて、これから別の人生を作るんだ。いい機会だ」と。思い立ったら吉日と、公衆電話か何かから親と祖父母に電話して、養子入りの意志を告げて、諸々の手続きをして、今の姓になった。もちろん、誰かが継がないといけないという思いもそれなりにあったが「自分を変える」という思いも強かった。

まあ、そんなノリで姓を変えてしまっていたわけだけど、GWや正月や夏休みで、鳥取にちょくちょく行くうちに、家にも、土地にも愛着がどんどん湧いてきたし、祖父母への感謝の気持ち、自分のルーツに対する興味はどんどん大きくなっていった。

今も、その延長。愛着・感謝・興味は、どんどん大きくなっている。それは確か。いい傾向だ。でも、何か足りないんだろうな、と思ってはいた。

それは何か。

今回祖父母や母と話していて、それが何か大体わかった(遅いって 笑)。家を継ぐためには、もう一つ「責任」が必要になってくるのだろうな、と。

うん、でも、そんなのも一朝一夕で出来るものではないし。これまで、自分の中で、時間を掛けて「愛着・感謝・興味」を育ててきたように、時間を掛けて「責任」を育てていこう、と思った。

そんな、頼りない自分に気付いた三連休でしたとさ。