東海型過疎
先週・先々週は、愛知県豊田市、静岡県の静岡市、浜松市と、東海地方への出張が立て続けにあった。
いずれも山村の過疎対策や林業再生関係の仕事関係なのだけど、地域の現状や課題を聞いていて、ふと思い出したのが、「東海型過疎」というキーワード。
一昨年にヒアリングした小桜静岡大学名誉教授がおっしゃっていた言葉だ。ちなみに、上の写真は、先生が住む静岡市の山村・大間集落。
以下、小桜先生のブログに関連記事があるので関心のある方は是非。
東海型過疎・・・親子近隣居住によるゆとりの過疎|地域づくりの実践と地域研究の課題
挙家離村型の西日本型過疎、出稼ぎ型の東日本型過疎と対比させて、東海型過疎を「親子近隣居住型」と説明している。
「ゆとりの過疎」「親子近隣居住による生活互助」という表現もされている。
愛知でも、静岡でも現場の話を聞けば聞くほど、「言い得て妙」だなと思う。
私は、このような現実を「親子近隣居住による生活互助」と名付けた。確かに高齢化率の高い集落が多くあり、高齢者のみ・高齢者の独り暮らしの世帯は多い。しかし彼らの中のかなりの比率で、近くに住む子どもがいて、互いに行き来することで生活を助け合っているのである。だから過疎化といっても、それほどの危機意識を持たない。どこかにゆとりがあるのである。
(中略)
この近隣居住による生活互助をみていると、大都市の二世代住宅で親子が同居し、嫁・姑関係でもめている家族より、はるかに恵まれていると思ってしまう。親と子どもの家族は、同居するより、近い距離で別居し、互いに助け合うほうが幸せなのだと思う。
危機感がない中、というより山村に暮らしている人が「ゆとり」を感じている中で、少しずつ地域力が衰退していっている現状。
東海地方の「親子近隣居住型」は、西日本の「挙家離村型」・東日本の「出稼ぎ」と比較してはるかに恵まれた過疎である。しかし恵まれているといっても、過疎であることに変わりはない。このタイプに合う過疎対策が必要となる。
この現状に対して、行政は何をすべきか。
他の地域でされているような、「生き残りをかけた対策」のような大仰なものは地域に受け入れられないだろう。
先生が書かれているような、家族のつながりを軸に、人生設計の中に農山村に住む期間を組み込んでいくというライフスタイルの提案は、聞いた当時は大胆な提案だなと思ったけど、実は東海地方では珍しくもないようで、やりようによっては広まるかもと思う今日この頃。