先進国型林業の法則を探る 〜日本林業成長へのマネジメント〜
先日出版予告(参照)をさせてもらったあいちゅう氏の新著、慌ただしい日々でなかなか読むことができなかったが、ようやく読了。
- 作者: 相川高信
- 出版社/メーカー: 全国林業改良普及協会
- 発売日: 2010/09/21
- メディア: 単行本
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この本の趣旨については、以下の記述が分かりやすい。
(ヨーロッパの林業関係の研究所等を訪れた感想として)
森林・林業をよくするために何をすればよいかという「問い」や「仮説」が社会全体で共有されているため、研究者も行政官も産業界も、皆おおむね同じ方向を向いているという印象を受けました。
本書では、日本林業再生のために、何をすればよいのかという論点を整理するためのフレームワークを整理してきたつもりです。日本においても、現場の方も、研究者の方々も「問い」や「仮説」を共有した上で、お互いの役割を果たし、問題を解決していくことができればと思います。
(本書P108)
著者の最も評価されるべきところは、まさにこの姿勢にあるだろう。
こうした「問い」や「仮説」を整理・設定し、世論や業界を誘導するのは、一般的な常識では、学会(たとえば、森林学会、林業経済学会等)やそこに所属する研究者だったり、行政の審議会等だったりするわけだが、それらのセクターが十分に整理してくれていなかったので、(一民間企業に勤めているにも関わらず)自分でやりました、ということである。簡単に言うと。
この本を読んだ研究者の方や、行政の方は、そこを自分たちが十分に出来ていなかったことを反省すべきだろう。
しかし、一方で、こうも言える。
こうした「問い」や「仮説」を設定すること、(本書の前書きの言葉を借りると)「原理・原則」を整理することを、行政機関や大学等の研究機関に任せることはできない、ということである。
行政や研究機関に任せられないとしたら、民間企業やNPOに所属するものだって、そのタスクに貢献しないといけない、ということである。
そう考えたとき、私のような民間企業に勤めるものにも「反省」の矛先は向かう。
個々の案件、個々の地域の課題解決に没頭しすぎていていなかったか。社会全体の「問い」や「仮説」を設定し、「社会」を正しい方向に導くための、大きな動きに、十分貢献できていたか、という反省である。
と、言うわけで、私も反省しました。 >あいちゅう
で、結局は、皆でこういったことを議論しましょう、ということなのである。
国も、自治体も、大学も、NPOも、民間の林業事業体も、森林組合も、自伐林家も、林業に関わらない一般の市民も、誰も彼も、みんなでこういうことを、オープンに議論しましょう、考えましょう、ということなのである。
日本の国土の7割近くを森林が覆っているのである。そして、その恩恵の上に私たちの水や空気や家や、そして暮らしが成り立っているのである。
この広大・重厚な資源のマネジメントを、人口の1%にも満たないような業界人、しかもその中のさらにごく一部の霞ヶ関の住人や、象牙の塔の住人に任せることは、到底無理な話なのである。
さらには、それに貢献すらしないのに、制度や事業に対して口汚く批判するだけの輩が、一番タチが悪い。
建設的な議論で、未来の森林・林業・山村を建設しないといけない。
ちなみに、この本で示されている19の原理・原則に関して、私自身は「うんうん、確かにそうかもなあ」と納得しながら読み進んだが、果たしてそれが真に正しいのかどうか、果たして日本の森林・林業に適用できるのかは判断がつかない。はっきり言って、新しい「日本の」林業を作っていかないといけないのだから、誰にだって自信を持ってその正誤を断定することはできないだろう。
結局ここから先は、現場で試行錯誤あるのみなのだ。あいちゅうも、私も、林業や山村に携わるもの全員がそれぞれの現場で、それぞれの持ち場で、「これが日本の林業だ!」「これが日本の山村だ!」と、全国に、そして世界に胸を張れるような実例を作るために日々努力していくしかないのだ。
とは言え、そんなに時間の余裕はない。ここ5年くらいが、日本の林業や山村の持続性を決める最後のチャンスでもあること(持続的衰退に向けた執行猶予期間と言っても良いかもしれない)。これだけはあらゆるセクターの、あらゆる人々が等しく賛同する確固たる、皮肉な事実である。
この短い時間を念頭に置くと、出来れば「誤」を最小限度に留めた形の試行錯誤にしなければならない。
本書は、その短い期間の中の最後の悪あがき、このスリル満点のチャレンジの、心強い「虎の巻」であると言える。
彼の大学の同窓、NPOの戦友、彼の文章の一ファンとしても、本書の一読をお勧めする。