日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

舞鶴→東京



長い一日だった。

昨夜21:20に西舞鶴駅前を出発した高速バス「シルフィード号」は今朝6:10に浜松町バスターミナルに到着。

そのまま会社に行って、溜まったメールの返信をして、これまた溜まった仕事を延々片付け・・・

そうこうしているうちに昼前には、救急車やらパトカーやらのサイレンが鳴り響く。同僚に聞くとどうやら会社の近くで工事用のクレーンが倒れたらしい。クレーンごときで大げさに、と思いつつ、何の気なしにyahooサイトを見たら、なんとトップニュースになっていた!!

せいぜい5メートルくらいのクレーンが倒れたのかと思いきや、「クレーンは総重量104トン、アームの長さ約27メートル」もあったのですね。死者は出なかったようでホッ。

野次馬に行く同僚もいたけど、仕事を続け、そうこうしているうちに夕方に。

急いで新宿駅に行って、ファイヤーサイド社長ポール・キャスナーさんと待ち合わせ、東南口近くのインド料理屋「ボンベイ」で食事。

ポールさんには初めて会ったけど、とてもシンプルでパワフルな方。「難しく考えないで、やったほうが早いよ。それは考えることじゃなくて、やることだよ。」確かに。日曜日の打ち合わせをして、別れる。

その後会社に戻って、しばし仕事をするが、集中できず帰宅。夜行バスではずっと寝てたのに、やはり眠りが浅かったようだ。

***

それはそうと、昨日、舞鶴で、ひとつの決断をしてきた。海のすぐそばの助産院に行って、助産師さんと会って、話を聞いて、納得して、助産のお願いをしてきた。

「決断」と言う大そうな言葉を使ったけど、一人の人生の始まりの舞台を決めてしまったわけだから、おおいなる「決断」だろう。

人にとって、生まれた場所は、大きな意味を持つと思う。たとえ、生まれただけの場所であっても。これは、自分が身を持って感じていること。

そう思うからこそ、「なんとなく」や「周りと同じで」ではいけないと思った。で、自分たちの思想(勝手に決められたほうからすると、単なる「エゴ」でしかないかもしれない)を詰め込んだ。

「舞鶴」で「日本海のすぐそば」の「助産院」で生まれる。こういったことが、その人生にどう作用するかはわからないけど、なんでそうしたのかを話せる日が来るといいなあと思っている。