日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

大文字送り火へかける思い(NPO 法人大文字保存会・長谷川さんへのインタビュー)

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点火を16日に控え、また、被災地の薪の受入の是非で注目を集めている「五山の送り火」ですが、感情的に受け入れれるべき、べきでないを論じるのではなく、その送り火を担ってきた方々の思いや、これまでの歴史も知ってもらいたと思います。

というわけで、2003年に、NPO 法人大文字保存会の副理事長である長谷川綉二氏にインタビューした記事を、『京都・火の祭時記−伝統行事からみた森林資源と人のつながり−』から転載したいと思います。

よろしければ、ご一読ください。

出典:『京都・火の祭時記−伝統行事からみた森林資源と人のつながり−』

  • 大文字送り火へかける思い(NPO 法人大文字保存会・長谷川さんへのインタビュー)

 500 年、600 年とも言われる歴史を持つ大文字送り火は、大文字山の山麓住民の手によって綿々と続けられてきた。大の字が灯される部分の土地を共有地という形で所有しているのもこれらの住民である。現在はNPO 法人大文字保存会としての組織形態をとって送り火の運営を続けている。この大文字保存会の副理事長である長谷川綉二氏に大文字山や送り火の昔と今の在りようや、送り火にかける思いを聞かせて頂いた。

  • この8 月の送り火の感想を聞かせて頂けますか。

 毎年のことだけど、今年は良かったと思ったことは無いですね。灯るのは当たり前のことだし、怪我が無いのも当然のことでしょう。
何が難しいかというと、全ての火床を一斉に点火させることです。点火の指示と同時に火が入らない火床や、灯かないところもあるからです。そのようなときは、近くにいる役員や保存会員が応援に行くことになる。また、点灯時間を保つのも難しいですね。次に妙法の送り火が灯るまで20 分程度あるので、その間こちらの火を綺麗に維持したいと思っているのですが、火床によっては井形に組まれたものが崩れてしまうところも出てきます。これは井形の組上げのときにしっかりと安定した積み方をしていないから10 分としないうちに崩れてしまうのです。だから、毎年なにかを反省しているという訳です。
 井形の組方や松葉の添え方、火の入れ方等には神経を使いますね。下で見ている人には分からない事と思いますが、後で愚痴を言ってくるのは会員の親か親族ですよ。麓で見ているおばあさんが、自分の子や孫が灯す火床の位置を知っているので、なかなか灯らない時などは「もう、恥ずかしいわ。どうなっているのやろか。」と心配したりしています。

  • 子供のころと比べて今の大文字山や生活の様子にどのような変化がありましたか。

 山も生活も随分と変わりましたね。私たちの幼少の頃は大文字山が庭であり活動の拠点だったと思います。学校から帰れば当然のように山で遊んでいましたよ。山には四季折々のおやつがあったし、遊び道具もありました。年長の人から教えてもらっていろいろな遊びをしたりしましたね。
その当時は家には「おくどさん(かまど)」があって、それで煮炊きをしていました。祖父や祖母と山に下草や薪を取りに出かけて、それを背負って帰り、かまどで炊いたり、お風呂の湯を沸かすのに使っていました。そう、いまから約50 年位前までそのような生活でした。
 しかしその後、ガスや電気が普及してからは、各家庭でかまどを取り壊し、薪を使わなくなったのですね。それから、この東山にはアカマツが沢山生えていて、私たちが中学校時代くらいまで、マツタケが採れていたと思います。家のお祝い事などで出される料理の中に山で採れたマツタケや山菜が皿に盛られていたよ。とにかく、山には生活に必要とする食べ物、燃料、肥料等がなんでも揃っていました。それだけでなく、祖父母や両親、兄弟でそれぞれの力量に合わせて協力しあう生活がそこにはあったと思います。

  • そういう生活のなかで大文字送り火はどういう位置付けでしたか。

 幼少の時で物心がついたときには、ごく自然にやっていたよ。「なぜ、やっているの?」ではなく、特に意識もせず当然のこととしてやっていました。送り火のために特別に何かをするというのではなく、家ではご先祖を迎え仏間飾りをして、そして盆にご先祖をお送りするために大文字に登り、送り火を灯します。その時期になれば、家庭や地域の行事として準備をはじめていました。各家には送り火前になると薪や麦の束が用意され乾燥等の作業をしていました。そして、当日までに大人たちは山道の補修や火床の修復に出かけるのですが、人手が必要なときは家族で出かけましたね。私はまだ小さかったので父親とお茶沸かしをしていたのを覚えています。お昼になると母か姉が山までおにぎり弁当を運んでくれたと思います。当日も父や兄のベルトにくくりつけたタオルを握って背には弁当の入ったリュックを背負い登ったのを覚えています。
 まあ、個々の家での出来事と生活が教えたり教えられたりせずして、自然と身についているのでは無いでしょうか。京都には祇園祭があるのですが、鉾町に生まれ育った人たちも育った生活の中で自然と身についていたので、伝統や文化といった大そうな理由付けはいらないのだと思います。
だから、私たちは送り火を灯すのが当然なことで、逆に灯さないのはご先祖やその他の御霊に対する生活を変えることと同じことだと考えています。

  • これからはどういう形で大文字送り火が続いて行ったらよいと思いますか。

 そうだね、今の私たちにとっては生活の一部ですが、これからは、新しい趣旨とか意義付けを加えて行くことが必要だと考えています。山も生活も随分昔とは変わりましたからね。昔はこの山にもトンボやチョウチョ、それにサワガニがいたことを教えたいし、そのような山に戻したいと思っています。そして、昔は沢山あったウドやアケビ、クルミといった木の実を復活させて、子供や孫が誇りにできる山になって欲しいと思います。また、人間だけでなくサルやイノシシ、シカといった、山で生活する動物たちと共生できる山にもしたいですね。そういう森に戻して行くことが山の送り火を残すことにもつながると考えています。
 実際山に人が入らなくなって放置していたら、アカマツはどんどん少なくなってきました。たとえアカマツがあっても、周りに雑木が茂っているために伐採したくても取り出せない事態になりつつあります。このまま放置していると、10〜20 年の間に送り火の燃料が不足することになるでしょう。もともとはアカマツが沢山生育していた山ですから、その山を生かして植林しながら再生していくことが今後の課題だと思っています。先ほども触れましたが、伐採と植林する上で考えなければならないのは山の生態系です。動物との関係、植物との関係も考慮しながら、子供や孫にこれからの山のあり方を伝えられればと思っています。
 それと、大文字の山だけ考えていたのでは限りがありますね。隣地の山主とも一緒にやって行くことも必要です。銀閣寺の寺杜地や法然院の院地、霊願寺地所などとも関連しながら山を守る、といった発想で考えて行かなければと考えています。「自分は自分、他人は他人」ではなく、こっちの山との共生、あっちの山との共生という具合に考えていって、最終的にはこの東山全体をどう考えるかというふうに持っていけたらいいですね。その中にたまたま大文字が灯される山があるというのでいいのです。

  • 大文字送り火という伝統を守る喜びについて教えてもらえますか。

 大文字山と送り火を通して、いろいろな人と出会いましたね。京都という街のこと、伝統文化のこと、森林のことなど、さまざまな話題や考えを持った人たちと交流して感じたのは、皆、同じ事を考えていることです。街も文化も自然も一体だと私は思っていますから。私は、送り火をテーマに、いろんな人たちを通して町から文化へ、文化から自然へと火を送り、仲間を増やして行くことに喜びを感じます。毎年新たな人たちが訪れてきて新しい課題を与えて帰って行かれます。
 私が思うに、送り火を灯すことの意味は、敬ってもらうことです。あの火を見て御先祖や友、先に逝かれた方たちを敬う気持ちが生まれることが大切なのです。
 2001年幕開け事業の記念送り火に参加したボランティアの感想文の中に「僕たちはこの火の元に手を繋げた。今知り合った75 名が手を繋げて火を灯したというのは、僕たちにとってものすごく大きな力になりました。もっともっと、この火を絶やさず灯し続けたい、だから送り火の火とともに僕たちの心にも灯し続けることをもっと広げたい」というのがありました。この感想文を読んだとき、たった一度の触れ合いで、このように感じてくれる友がいたことをうれしく思いました。このように思ってくれる人がもっともっと増えることを望むと同時に私たちより先に送り火を灯されたような思いがしました。

  • 長谷川さんの人生のなかで送り火というのはどういう位置付けなのでしょうか。

 今の歳になって感じるのですが、ご先祖を敬う、尊敬するというのは、そのようなことが生きるうえで何かと支えになってきたからではないかと思うのです。子供や孫にはそのような心は受け継いでもらいたいと思いますし、自分自身のご先祖だけでなく、幾多の文化や伝統を守り、自然を維持されてきた方々に対して感謝することも忘れてはならないとも思います。
 特に京都の文化と伝統は、災い事や応仁の乱などで混乱した時代にも負けずに継承されてきたのですが、それを担ってきた人たちの力は敬って余りあります。送り火も500〜600 年もの間どのようにして継承されたかを考えるとき、ほんとうによく続けてこられたと思います。一方で、これから500 年続けるだけの事業を残せるかを考えたとき、今の私には自信が無いとしか言いようがありません。しかし自分が生きている時間の間だけでも、しっかりと継承して行きたいと思っています。そして、それだけでなく送り火の持つ意義と価値観を現在に沿う形として継承することを考えていくことも自分の任務です。
 これからは、次世代に継承していく立場ですが、継承するだけでも10 年はかかるでしょう。表面上は単純に見えても心の問題は時間がかかりますね。古さの中にもしっかりと受け継いでもらわなければならないところもありますが、そうでない新しくして良いところはこれから一緒に作り出したいですね。
 やるからには責任もあり、逃げることもできません。私も若いときは、そのようなことを特に考える気持ちにもなりませんでしたが、いまになって思えば5〜10 年早くに何事もやっておけばよかったと後悔しています。
 だから、あなた方の年代から伝統とか文化にたずさわるのなら先の人たちを敬い、感謝する思考を持って活動してもらいたいと思います。これはなかなか難しいことだけれど、やはり持って欲しいですね。
(構成:嶋田俊平)

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