磯崎新の「都庁」
- 作者: 平松剛
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2008/06/10
- メディア: 単行本
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「ぶっちぎりで勝とう!ぶっちぎりで勝とう!」連呼する建築界の天皇・丹下健三。そのかつての師に、腰痛・腹痛・大スランプ中、満身創痍の磯崎新が、闘いを挑んだ!1985年、バブル前夜の東京で行われた新宿の新都庁舎案コンペ(設計競技)。磯崎新が提出した幻の「低層案」、そのキーワードは「広場」と「錯綜体」だった…。建築界の知の巨人の夢と格闘の軌跡を追う、建築ノンフィクションの大作。
面白かった。
今新宿に建っている都庁は、あまりにもシンボリックで、あまりにも巨大。見事なまでに東京都の権力を表現した意匠とボリューム。
見る人に有無を言わせない程の圧倒的な存在感。
が、それとまったく異なる「都庁舎」を構想し、提案していた人がいたのだ、と驚いた。
(私は1985年頃は日本にいなかったし、そもそもガキだったので、コンペのことは全く知らなかった。)
- コンセプトは「市民が集まる大聖堂」
今、改めて見直してみても、丹下と磯崎の両案は際立っている。丹下の入選案は最もシンボリックな造形であり、それゆえに市民とメディアの反発を呼んだのかもしれない。一方、磯崎案は唯一超高層を採用しない。大きな直方体の箱を横に寝かせたような建築である。コンペの要項に従えば、どうしても超高層になってしまう。それを磯崎はあえて否定し、シティホールの根本的な意義を問う。彼は高さの競争を重要視せず、大きな広場を建物の内部にもつことを優先させた。
シティホールの語源は、全市民を収容できる大きな広間である。つまり、権威的なモニュメントよりも、開かれたパブリックな空間を目指した。磯崎の都庁案は長い建物なので、公道を横断するという違反を起こしているが我々に公共性の問題を突きつける。彼はコンペに勝つことよりも、そもそも都庁舎とは何かを考えさせるために、落選覚悟で大胆な提案を提出した。
まぼろし博物館
敗れはしたかもしれないけど、このコンセプトは、こうして書籍やスケッチや模型として後の世に伝えられていく。
そして、いつか、今の都庁舎が老朽化した時でよいので、磯崎新の都庁舎が建ってくれれば、面白いだろうな。