日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

変わるものと、変わらないもの。


(高木さんと私@京都・出町柳にて、2001年8月)

昨日、携帯電話に高木さんから電話があった。ふと私のことを思い出して、声を聞こうと電話してくださったのだと言う。

京都・雲ヶ畑での山仕事に何度か参加して頂いた縁で知り合った高木さん。

その当時83歳だと言っていたから、今はもう90を越えておられるだろう。だけど、今も電話越しの声には張りがあり、お元気そうだった。

下草刈りの合間の休憩、隣で鎌を研ぎながら色々なお話を聞いた。

学生時代に友人が教師から不当な扱いを受けたことに反発して学校の裏山に立てこもって抗議したというお話。
戦後シベリアに抑留され、零下何十度という極寒の中、大木を伐る労働に従事し、仲間が沢山死んでいったというお話。

高木さんはとても穏やかに話されるのだけど、私はただただ度肝をぬかされていた。

そんなすごい経験をされてきた高木さんなのだけど、私のような若造も一人前の人間として、同志として扱ってくださったのが、本当にうれしかったのを覚えている。

昨日も電話口で、「嶋田さん、お元気にしとられますか。相変わらず、頑張っておられるのでしょうな〜。久し振りにお声が聞けてよかったですわ。」と、こっちが恐縮してしまうくらい丁寧に、そして穏やかに声をかけてくださった。

高木さんは本当に変わらない。

きっとこれまでの90年間(戦前、戦中、戦後、そして今も)、ずっと、あのように穏やかで、まっすぐで、朗らかな方だったのだろう。そして、これからもそのような人であり続けるのだろう。

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今日、夜8時頃帰路に着き、地下鉄に乗ったら席が沢山空いていたので座った。

ふと「あれ、この時間普段なら座れないはずなのに・・・」と思った。そういえば、2月に入ってから、席が空いている確率が高くて、大体座れている。

不況の影響で、帰宅ラッシュの時間が早まっているのかもしれない。吊革広告も、不況だの、金融危機だの、派遣切りだの、そんなのばっかりだ。

社会は、あっという間に変わってしまう。

今回の金融危機とその後の経済の落ち込みぶりを目の当たりにして、つくづくそう思う。

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変わるものと、変わらないもの。

社会はこれからも目まぐるしく変わっていくだろう。だけど、そんな社会の中にあって、自分は、変わらない一人の人間、一個の存在として、ありたい。

高木さん、お電話ありがとうございました。