掃除とかんながけ
今日の日経新聞朝刊の春秋欄に面白い話があったので、備忘録。
法隆寺の「昭和の大修理」を成し遂げた名棟梁、宮大工・故西岡常一氏の逸話。西岡氏の口癖「自分でかんがえなはれ」「学校の先生やない」について。
例えば「納屋を掃除せい」と命じる。それしか言わない。しかし、納屋には門外不出の図面が置いてある。掃除命令には図面を見て勉強してもいいぞという意味もあった。あるいはかんなくずを一枚渡す。受け取った方は窓に張り、同じくらい美しいくずになるまで、かんなを研いで木を削り、をひたすら繰り返す。
朝食を食べながら何気なく読んでいたのだが、どきっとしてしまった。
自分は、人生の先輩からの「掃除命令」や「かんなくず」を、みすみすやり過ごしてしまってはいないだろうか、と。
ぶっきらぼうな「掃除命令」や「かんなくず」を、やっかいだとか迷惑だとか思って無下に断ってしまったり、いやいややってしまったりしていないだろうか、と。
思いあたる節が、いくつもあるのがつらい・・・。
「掃除」「かんながけ」頑張ろうと思った秋の朝。