日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

正岡子規の墓誌

明治の男というと、頑固というイメージだが、「坂の上の雲」にでてくる明治の男たちは、ひょうきんな面がある。底抜けに明るい、こだわりがあるようでない、というか。

その最たる人が、正岡子規

彼の自作の墓誌と、それに関して友人に送った手紙の文章が面白かったので、引用。

子規は自分の墓誌を病床で書いた。書きおわったあと、友人の河東詮にそれを送り、これについて以下の手紙を同封している。
「アシヤ自分ガ死ンデモ石碑ナドハイラン主義デ、石碑立テテモ字ナンカ彫ラン主義デ、字ハ彫ッテモ長タラシイコトナド書クノハ大嫌ヒデ、ムシロコンナ石コロヲコロガシテ置キタイノヂヤケレドモ、万一已ム得ンコトニテ彫ルナラ別紙ノ如キ者デ尽シトルト思フテ書イテ見タ、コレヨリ上一字増シテモ余計ヂヤ」

正岡子規又ノ名ハ処之助又ノ名ハ升又ノ名ハ子規又ノ名ハ獺祭書屋主人又ノ名ハ竹の里人伊豫松山ニ生レ東京根岸ニ住ム父隼太松山藩御馬廻加番タリ卒ス母大原氏ニ養ハル日本新聞社員タリ明治三十□年□月□日没ス享年三十□月給四十圓」

(中略)
ここには子規がそのみじかい生涯を費やした俳句、短歌のことなどは一字も触れられておらず、ただ自分の名を書き、生国を書き、父の藩名とお役目を書き、母に養われたことを書き、つとめさきを書き、さらに月給の額を書いてしめくくっている。


坂の上の雲〈8〉 (文春文庫)

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