日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

祖父の思い出、そして自分が大切にしたい二つのこと(2012年の年始にあたって)

年末も押し迫った昨年12月20日、祖父が亡くなりました。享年99歳でした。

祖母が亡くなったのが11月22日ですので、四十九日も済ないうちに、祖母を追いかけるかのように亡くなってしまいました。

私は、祖父母の「長男」として養子入りしているので(嶋田家に男の跡継ぎがいなかったため)、葬儀、初七日などの法要を喪主として執り行いました。まさか、1ヶ月の間に2度も喪主をすることになるとは思ってはいませんでした。

祖父は、最後まで苦しい様子はありませんでしたし、子や孫、さらにはひ孫と、三世代に見守られながら息を引き取りました。天に与えられた長い長い寿命を穏やかに終えることができ、幸せな人生を全うしたのだと思います。

祖父は二度も戦争に駆り出され、二度目の徴兵で九州に配置された際には、アメリカ軍の本土上陸に備えて、爆弾を抱えて戦車に飛び込む訓練をしていたそうです。また、戦争が終わってからも、勤めていた製紙会社が何度も倒産し、不安定な時期を過ごしたこともあったそうです。

しかし、こういった話を本人の口から聞いたことはありません。そういった話を聞こうとすると、いつも、「そんなこたあ、昔のことだ」と取り合ってくれませんでした。

そんな「昔のこと」よりも、新聞にこまめに目を通し、最近の社会情勢や、IT技術(アイテーギジツと発音していましたが 笑)の進展など、「今」のこと、「これから」のことに大きな関心を持っていました。そして何よりも、子どもや孫たちが元気にしているか、何か挫折があってもちゃんと腐らずに頑張っているか、自分のことより、「家族」のことに一番の関心を持っている人でした。

いつも前を見ながら、社会のこと、家族のことを思いながら生きてきた99年の人生。強さというか、凄みさえ感じます。尊敬の念しかありません。

祖父から学んだことは、「今を生きる」ということと、「家族を思う」ということです。

私が祖父の歳まで生きられるなら、あと60年以上もあるわけですが、この二つを忘れなければ、間違いはないだろうとなんとなく感じています。

人には、「生き方のお手本」が必要です。今風にいうと、ロールモデルとでも言うのでしょうか。

子どもの頃から教科書などで沢山の偉い人の伝記やらを読んできた(読まされてきた、かな?)けれど、こんなにもそばにロールモデルがあることに今さらながら気付きました。

年末に祖母の四十九日法要を済ませたばかりですが、1月下旬に祖父の四十九日を行い、二人のお骨を同じ日に、赤碕鳥取県琴浦町)の海辺にあるお墓に納骨する予定です。

祖母には、天国の手前でちょっと待っていてもらって、二人仲良く天国に入場(?)して、一緒に新しい暮らしを始めてもらいたいと思います。

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2011年は、沢山悲しいことがありました。

東日本大震災長野県北部地震(毎月お米を送ってもらっている栄村が被災してしまいました)、放射能汚染、タイの洪水(タイにも4年くらい住んでいたので心が痛みました)など、沢山の天災や人災が人々を襲いました。そして、個人的にも、大切な二人の人を亡くしました。

しかし、誰もが前を向いて生きていかなければなりません。そして、苦難のさなかにある人には手を差し伸べる力を持ちたいものです。

2012年。

どんな年になるのでしょうか。わくわくしています。この1年を全力で駆け抜けたいと思います。