日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

「癒しの森シンポジウム」に参加して僕が思ったこと


先週水曜日、11月3日にこれまで企画等をお手伝いしてきた「癒しの森シンポジウム」が開催された。
朝は雲をかぶっていた黒姫山、妙高山も、シンポジウムの開会が近づくにつれ、徐々に顔を出してきた。


「黒姫童話館」の「童話の森ホール」が立ち見も出るほどの盛況。もっと大きいホールでも良かったかなとも思ったけど、目の前に黒姫と妙高がどーんと構える童話館のロケーションは他には換え難い魅力がある。

まず、長野県知事・阿部守一さん、「人とホスピタリティ研究所」の高野登さん、C.W.ニコルさんによる基調講演。
そして、森林メディカルトレーナーの高力さん、コーディネータの武井さんを加えたパネルディスカッション。
全ての講演者、パネラーの話が面白すぎて、3時間があっという間に過ぎた。

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メモしっぱなしだったのだけど、幾つか特に僕の心に響いた珠玉の言葉達とそれに対して僕が思ったことを記録しておきたい。

まずは、高野さんの言葉を紹介。

「日本を元気にするには、日本の原点に戻ればいい。日本人本来の優しさ、包容力、きめ細やかさを取り戻せばいい。地域も同じ。」

僕は幼少期〜思春期にインドとタイに10年くらい住んでいて、久々に戻って来た日本や日本人の姿に少なからずショックを受けたことが、僕が今この仕事をしている原体験としてあるが(チェーン店が乱立していたり、近くの森が開発されたり、憧れていた日本の文化をないがしろにされていたり等々)、高野さんのお話を聞いて、自分が今信濃町に強く惹かれている理由は、信濃町に「日本の原点」、日本や日本人が忘れつつあるものが残っていることを感じているからなのだろうなと思った。

唱歌「ふるさと」は、信濃町の隣の下水内郡豊田村(現中野市)出身の作詞家が書いた歌らしいが、まさに、僕も含めた多くの人に「ふるさと」を想起させる「良き」風景、暮らし、人々がここに居る。

故郷 (唱歌) - Wikipedia

「ホスピタリティーは、相手の気持ちに自分の気持ちを添えること。それだけのこと。誰でもできる。この町のこの町らしさを、ふっと添えていくだけでいい。」
「日本が再生する道筋はシンプル。日本の原点に戻ればいい。日本本来の優しさ、包容力、きめ細やかさ、勤勉さを取り戻せばいい。」

このお話は、これから育成が予定されている信濃町コンシェルジュの候補者たちに大きな勇気を与えただろう。相手を思う心、ふるさとを思う心が一番大切。自分たちも一流のコンシェルジュになれると。

「なんで日本が元気がないか。世界の役に立っているという意識がないから。」

こんな短い言葉で、今の日本を覆う悲壮感、あきらめ感、暗さの原因を表現した人に初めて会った。「世界の役に立っているという意識がないから」、確かにそうかもしれない。もっと、僕ら若い世代も含めて、「自分たちのため」「日本のため」だけでなく、「世界のため」を意識しながら働かないといけないのだろう。
これは、日本を農山村に置き換えても同じかもしれない。もっと都市と交流を深めて、実は、農山村の自然や文化、暮らし、技術が必要とされていること、役に立っていること知ってもらいたい。

「農家の法則は世界共通。蒔いた種しか芽を出さない。企業も地域も地道に種を蒔き続けないと、収穫しようと思ったときにそこには何もないということになる。種とは人材。」

そう、全ての出発点は種を蒔くこと。社会においては、それは人を育てること。
そういう意味で、信濃町はもう10年近く前から、この癒しの森事業が始まった当初から、森林メディカルトレーナーや癒しの森の宿といった、この事業を支える人材を育成してきた。人の育成からこの事業が始まったと言ってもよいだろう。そして、今、その種が芽を出し、実をつけようとしている。
「種を蒔く」ことから始めた住民や行政の方の良識に、改めて感動した。

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次にニコルさんの言葉。

「黒姫の赤鬼です。黒姫に住み始めて30年。70歳になりました。」
「英国で野生の熊が絶滅したのは900年前。猪もいない。日本でボタン鍋食べたときは感動して涙が出たよ。」

ニコルさんの講演は、今回初めて聞いたが、うまかったなあ。こんなに話のうまい人はなかなかいない。しょっぱな「黒姫の赤鬼です」なんてぼそっと一言、一瞬で観客を掴んでしまった。
喜怒哀楽がすべて詰まった30分。そこに、ニコルさんの30年、いや70年が凝縮されていた。ニコルさんは、喜も、怒も、哀も、楽も、すべてを人の何倍も味わいながら、この黒姫の麓で、生きてきたんだなあと、聞いている観客の僕もなにやらしんみりと思い出に浸ってしまうような気さえした。

「命懸けて森を育ててきて、動物も、友達も増えた。70歳の飲兵衛だけど、アイアム ハッピー。」

そして、今、ニコルさんの中に、「喜」が充満していること。これは本当に(傍から見ていても)喜ばしいことだ。まっすぐに生きていれば、自分も、周りの人々・自然も報われる。そんな人生。

「人間のDNAの98%はチンパンジーですよ。自然や森林がないと生きていけない、おかしくなってしまう。そんなの当たり前じゃないですか。」

もうひとつ、ニコルさんの素晴らしいところは、物事の本質を、分かりやすく、そしてユーモアに溢れた言い回しでずぱっと言い当ててしまうことだ(と、今回知った)。「人間のDNAの98%はチンパンジーですよ」なんて言われたら、科学的なエビデンスがどうこうって言うのも野暮ったいような気になってしまう。でも、ほんとそうなんだろう。

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そして、長野県・阿部知事。

「知事選のときは、長野じゅうの市町村を駆け回ってとてもハードだったが、車の中から森や川をボーっと眺めたりしていた。今思えば、森や川に癒されていたんだと思う。今より健康だったくらい。」

信濃町と協定を結んでいる企業さんで、協定を結ぶ前に自分で足を運んで、森を体験して、自分や家族の心身の変化を確認してから協定締結に踏み切ったという役員がいらっしゃるが、知事も自らの体験があるからこそ、こうして信濃町に注目・支援されているのだなと。

「住民と行政の壁を減らしたい。できれば取っ払いたい。」
「卑屈になること。これが一番いけない。外から来たひとに、ここのどこがいいのか、聞いてみれば良い。それを磨いて外に出していくのが大切。」

阿部知事の言葉はこんな感じで、住民も行政も、地方も都市も、対等につきあっていくべきだと考えておられるよう。

そのためには・・・・

「これからの長野県の将来を考えたときに、人が人を引き付けていくような仕組みを考えないといけないと思っている。やっぱり、人。人を引き付ける長野県にしたい。」

やはり、「人」なのですね。同感。

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このお三方の基調講演後のパネルディスカッションでは、地元代表として癒しの森事業推進委員会の高力一浩さんが登場。

阿部知事、高野さん、ニコルさんが話されたことのエッセンスが、全て高力さんが語る信濃町のこれまでのエピソードの中に昇華されていたように感じた。

「企業の工場を地域に呼ぶのはいいことかどうか。地域住民が卑屈になってしまう。フィフティ・フィフティでつきあいたいと思った。企業従業員のふるさとになることがその道だと思っている。」

「多様性のある森は、多様性のある人を育む。いい森だと、全盲の子どもが楽しそうに走り出す。危ないと思われるかもしれませんが、風でわかるそうです。」

「癒しの森事業は、地元にも波及し始めている。地域住民の健康にもつながってきている。これからも仲間と一緒につきつめていきたい。信濃町だけが良くなるのではなく、他の地域と一緒に良くなっていきたい。世界中に広めていかないといけない。」

「いいことをすることが大切。いいことをするといい人が応援してくれる。そのことを忘れないでやっていきたい。」

こうして、地元に足をつけ、そして日本の他の地域や世界を良くすることまで見据え、どんな人でも受け入れる包容力のある住民の方々がいたからこそ、信濃町はぶれずに進んできたのだろうと、改めて思った。

最後に、シンポジウムの閉会のあいさつをされた法政大学・中嶋聞多先生の言葉。

信濃町のストーリーはとてもシンプル。地域の森を使って、地域の人たち自身が、地域を元気にしようという物語。町民の皆さんは、この森林に誇りを持って、自信を持って、このストーリーに参加してもらいたい。」


そして、これからも物語は続いていく。