日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

「自立」とは、「人のせいにしないこと」

宮崎県諸塚村を訪れた。
(ヒアリングや視察の結果は別途報告書にまとめるので、簡単な印象に留める。)

諸塚村で強く感じたこと。それは、「自立」とは、「人のせいにしないこと」なんだなということ。

諸塚村は、時代の流れに翻弄されることなく、国や県の方針・指導を無条件で受け入れることなく、村としての独自の戦略を打ち立て、しぶとく生き抜いてきた。

例えば。

  • (1)戦後、GHQが「集落解体」として、「社会教育はすべて公民館で行うこと」を公布。全国で集落組織が解体され、形だけの公民館が作られる中で、諸塚村はハードとしての公民館を、ソフトとしての公民館に読み替え、戦前からの集落組織を解体せず「自治公民館」として存続させることを、GHQに直談判した。結果的に、諸塚には今も、自治公民館活動としての集落組織が全88集落に残り、全ての生活・産業の基盤となっている。
  • (2)戦後の拡大造林期に、国策としての針葉樹一斉造林を受け入れず、針葉樹とともに広葉樹を混植した。結果的に、後々シイタケ原木を十分に確保することができた他、生態系に配慮した森林経営としてFSC森林認証の取得に至る。
  • (3)昭和後期、高い国産材価格を背景に森林が都市資本の投機対象となっていた頃、山林流出を食い止める「土地村外移動防止対策要綱」を制定。結果的に、現在も不在村地主の割合が全国的にも低く、地域森林管理が維持されている。
  • (4)林野庁主導で新生産システム事業など、集成材工場等向けの大量生産・安定供給体制の構築が九州全土で取り組まれている中、地道に産直住宅の販路開拓、品質向上に取り組んできた。結果的に、諸塚材のブランド構築と、相対取り引きによる価格形成力の獲得(高い材価)を実現しつつある。

などなど。

国や県のいいなりになって、仮に失敗しても、泣きを見るのは自分たち。今の暮らしを失うのは自分たち。そうはなりたくない。人のせいにできない。だから、自分たちの頭で考え、自分たちのやり方を貫いてきた。

これこそが、「地域づくり」の基本だなと、改めて思った。