日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

「劔岳 点の記」

「劔岳 点の記」を観た。とても良かった。

そのタイトルからして「山に登る」ことに対する情熱やロマンを描いた映画だと思っていたのだけど、「地図を作る」ことに対する情熱を描いた映画だった。

というより、「山に登る」ことに情熱を燃やす男(日本山岳会・小島烏水)VS「地図を作る」ことに情熱を燃やす男(陸軍陸地測量部・柴崎芳太郎)が映画の基本構図。

それぞれが率いる陸軍陸地測量部(現・国土地理院)と日本山岳会が日本最後の未踏峰・剱岳の初登頂を競う。その中で互いに友情・連帯感が芽生える。単純化するとそんなストーリーなのだけど、僕が印象に残ったのは、以下のようなこと。

柴崎芳太郎は、国防のために国土の詳細地図を作るべしという軍命に従い剱岳の頂上に三角点を設定すべく、自然の圧倒的な力と対峙する中で、「地図を作る」ことの意味を自問する。

そして、「世界の中で自己(日本という国、自分という人間)の位置・大きさを知る」ということ、ひいては、「自然や地球の大きさを知る(裏返せば、人間のちっぽけさを知る)」ということを、人間の本能が求めていることに気付く。

ああ、なるほどなと思った。大航海時代にしても、伊能忠敬の日本地図づくりにしても、あんなこと、頭で考えてする/できることではない。人間の本能が求めているからこそ、ああいうことを成し遂げてしまったのだろう。

人間が猛々しい自然の中で生きていくためには、自然(そして、地球)に対する自分の力(弱さ)を「相対化」する必要がある。だから、人間は、昔から、周りの自然の大きさや現象を「測って」きたのだろう。

スケールはだいぶちっこくなるが、自分も振り返ってみると、学生時代に京都から北海道まで自転車で走ってみたり、チェコスロバキアを横断してみたり、陸路で東南アジアを一周したりしたが、なんでそんなことをしたのか自分でもよく分らなかった。
でも、世界中あちこちを走ってみて・歩いてみて、なんとなく安心したことを覚えている。自分なりに、世界の中で日本や自分の大きさを相対化できたことで、人間の本能が安心したからなのかもしれない。
安心して、地に足をつけて、この日本で生きて行こうと思えるようになった。

まあ、そんなところが自分がこの映画を見てふと思ったことなのだけど、そんな難しいこと考えないで十分に楽しめる映画です。山の映像が素晴らしい(家のテレビで観てはもったいない)し、出ている俳優さんの演技・演出に抑えが効いていて嘘臭さをまったく感じない。

あと、長次郎の息子の手紙や、小島烏水の手旗信号なんかは、涙ものです。

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