日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

市民の日本語

今日は仙台出張。

道中の新幹線で、前回仙台に行ったときに会った加藤哲夫さんが書かれた本を読みました。

市民の日本語―NPOの可能性とコミュニケーション (ひつじ市民新書)

市民の日本語―NPOの可能性とコミュニケーション (ひつじ市民新書)

加藤哲夫さんは、20年以上も前から「市民社会」の成熟に取り組んで来られた方で、今はNPO法人せんだい・みやぎNPOセンターの代表として、宮城県に留まらず全国を飛び回っておられます。尊敬するファシリテータの一人です。

この本、新書版でさらっと読めてしまうのですが、とても深いです。

加藤さんのお仕事は、市民団体間、市民−行政間、市民−企業間のコミュニケーションを中介・支援すると言うことになると思いますが、その一番の「商売道具」が「言葉」(=日本語)であることは間違いありません。

そういう意味で、この本は、仕事人・加藤哲夫が、その「道具」について語ったものです。

とても親しみやすい文体で書かれているのですが、大工の棟梁のかんなに手を触れてしまった時のような、気むずかしい画家のアトリエに足を踏み入れてしまった時のような、緊張感、一種の怖さを感じてしまうのです。

いくつか、心に残ったフレーズをメモ。

  • 「迷惑をかけるな」

昔はね、「迷惑をかけるな」というのは「共同体からはみ出すな」「共同体に従いなさい」というメッセージだったんです。しかし今は、共同体がないんですから「孤立しなさい」というメッセージです。
(中略)
今、共同体がない中で、他人に迷惑をかけるなといったときに、たとえば援助交際をしている子から「誰にも迷惑をかけていません」といわれたら、次の言葉がないわけです。

  • 「空き缶を拾うのは市民の権利である」

何の権利を空き缶を拾っている人は行使しているのかというと、この街を美しい街にしたいというまちづくりにその人たちは、自発的に、誰にも頼まれたわけではなく参加をしているんだということです。

  • 「意見というものはつくるもの」

「意見言ってください」と言ったときに、「質問ありませんか」と言ったときに、皆の顔色みて、自分では何一つ考えていない人が多いっていうのはこの国の特徴です。
それは「意見」というものは「つくる」ものだ、ということなんです。自覚をしてつくらない限り、意見なんてないんだということに気づいていないんです。

  • 「学級委員会民主主義」

学級委員会民主主義というのは、つまり論理的で声が大きい強者が勝つという民主主義なんです。
これは一応論理が優先されています。非論理的でも声が大きければ勝つという危険性もありますし、実際にはそういう例も多いですが、そういう点でもともと権力のある人、声の大きい人、そしてある程度論理的な人の方が優位に立つという民主主義です。
それ以外の技術がないということです。これはやっぱりものすごい欠点で、この限界を超えなきゃいけない

  • 「話せばわかる」

「話せばわかる」っていうじゃないですか。あんなウソはないですね。いくら話したってなかなかわからないということを前提にしないとならないと思います。

  • 「コミュニケーション」

自分にわからない自分があるから、自分がわからないものは他者からみて指摘してもらわないと自分のわかる領域が広がらないんです。
恐らくコミュニケーションというのは、そういう問題を顕在化させるために、つまり違うからこそ人間にとって必要なんだと思うんです。そうでなければ、人間は同質性のまどろみの中で生きていくのです。