日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

おくりびと

近くの映画館で、「おくりびと」を観た。

チェロ奏者の主人公は、楽団の突然の解散により、夢をあきらめ妻と故郷に帰る。そして、故郷山形で、(死体を見たこともないのに)ひょんなことから納棺師になってしまい・・・というお話。

アカデミー賞を獲ったくらいなので、とても良い映画であることは間違いないのだけど、妻に感想を聞いてみると、妻と僕とでは映画から受けたインパクトの大きさ(感動の程度)が違っていたことが面白かった。

僕は、仏壇もない家で育ってきたし、祖父母とも別のところで暮らしてきた。ということもあり、正直「死」というのがあまりイメージできない。納棺にも立ち会ったことがない。だからこそ、この映画はとても「新鮮」だった。大きなインパクトを受けた。「死」に対してかなりマイナスのイメージを持っている自分の内面に気付いたり・・・。(例えば、妻に「汚らわしい。普通の仕事をしてよ。」と責められた主人公が、「何が普通なんだ。死ぬことだって普通じゃないか。」と言ったシーンなど、自分に言われたようでぐさっときた。)

一方、三世代家族の中で、お土産をもらったらまずお仏壇に供えるような家で育った妻には、この映画のテーマが、いまいちピンと来ないようだった。最初は「ちゃんと観てたんか?」と勘繰ったが、どうやら日常の中で、「死」や「老い」と接してきたから、この映画があまり「新鮮」ではなかったということのようだ・・・。

そこでふと思ったのは、この映画がアカデミー賞をはじめ世界各地の映画賞を獲る等、高く評価されている背景には、日本に限らず、世界中で「死」が日常から離れてしまっているという逆説的な現実があるからだろう、ということ。

おくりびと」は世界100ヶ国近くで配給される見込みのようだが、それぞれの国でどのように受け入れられるのか、評価されるのか/されないのか、とても興味がある。
(例えば、今でも川のほとりで火葬し、遺骨を川に流しているインドなどではどう評価されるのだろうか・・・)