日本再発見ノート Rediscover Japan. 

株式会社さとゆめ・嶋田俊平の日々の思い、出会い、発見

「共生」とは。


昨日は、山梨県甲府市で開催されたシンポジウムに参加。

リレートークでは、(私以外は)山梨県内で森林や木材に関係した仕事やNPO活動をされている人がお話されたのだが、どの方のお話も面白かった。(自分の順番は最後だったのだが、自分の出番があることすら忘れてしまうくらい・・・。)

特に、山梨県北杜市在住の昆虫写真家の山口進さんの話は、普段あまり聞く事ができない類のお話で、綺麗な写真と科学的な考察に魅入ってしまった。

「かつて、人々と自然が共生する暮らしがあった・・・」なんて陳腐な文章はよく目にするが、30年も里山の昆虫を追いかけておられる山口さんのお話では、それらがリアリティを持って迫ってくるような迫力があった。

オオクワガタは、田んぼの刈り敷き用のくぬぎの台木に繁殖し、毎年萌芽する枝の蜜を吸って生きていたこと。そして、その刈り敷きがされなくなってから急激に減ってきたこと。

ゴマシジミやヒョウモンモドキは、茅葺屋根の茅(かや)を刈る草原に生息し、野焼きのリズムにうまく繁殖リズムを順応させていたこと。そして、茅葺屋根が消えていく中で、どんどん生息数を減らしていったこと。

ウラナミアカシジミは、薪炭林のクヌギの若い枝に産卵、幼虫はその若い葉を食べて成長していたこと。そして、燃料革命後薪炭が使われなくなるとともに姿を消したこと。

同じく薪炭林に生息するシロスジカミキリも、成長期のコナラやクヌギに好んで産卵し、さらに、その幹を食い荒らすことで、森林にギャップを生じさせる役割を果たしていたこと。

マルハナバチは、リンゴやモモの受粉を担っていたこと。今は、それを人の手で行うので、大きなコストがかかってしまっていること。

などなど、ここに書ききれないくらいの事例を教えていただいた。

これが「共生」なんだな、本当に一緒に生きていたんだな、と思い知った。

「共生」という言葉をはじめて素直に受入れることができた。

追記
山口さんのホームページを拝見すると、プロフィールのところに、「ジャポニカ学習帳の表紙でもおなじみの写真家」とあった!!
ジャポニカ学習帳」の写真といえば、小学生の頃、授業中・休み時間いつも眺めては夢を膨らませていた、あの超アップの昆虫写真だ。まさかその写真を撮っていたかたとお会いしていたとは(しかも、帰りは駅まで車で送って頂いた)。ハンミョウの写真なんか、今でもありありと思い出せる。人の縁というのは不思議ですね。